Image by Gemini
(一)
今、僕はこれを昼下がりに書いている。
少なくとも、体感的には昼下がりだ。僕の部屋には分厚い遮光カーテンがかかっており、窓からの光は一切入ってこない。時間の流れを遮断するため、家には時計もない。
なぜこんな生活をしているのかと聞かれることがあるが、理解されることは少ない。答えは単純で、かつ、誰もが共感できない類のものだ。
──昔、終電を逃して泣く泣く泊まったラブホテルで、僕は「時間が消えた感覚」に魅了されたのだ。
あの部屋には窓がなく、外の音も遮断され、薄いBGMだけが流れていた。オレンジの間接照明が異国のインテリアをぼんやり照らし、まるで世界から自分が切り離された感覚を覚えた。
その感覚が、僕に新鮮な安心を教えてくれたのだ。
だから、僕は自分の部屋をあの空間に近づけることにした。光を遮り、音を消し、時間の経過を感じられないように時計を捨てた。
世界から浮かび上がることで、ようやく僕は「僕」になれる。自分という存在の輪郭がはっきりと分かる。
こうして音も光もない空間に横たわっていると、様々なことを思い出す。真っ暗な脳髄の底からとりとめもない回想が沸き出て、それが水面に泡となってあらわれ、はじける。
ひとつひとつ。ゆっくりと。
まるでコーヒードリッパーを見つめているような感覚だ。この感覚を味わうことは1人でなくてはできない。
自分自身になれる空間を持ちたい、という感覚は昔から人一倍強かったように思う。その空間は使われていない空き教室や、トイレの個室では満たされない。
自分自身しか入れず、だれにも知られていない場所でなくてはならなかった。そういった場所で、初めて僕は世界から離れて1人になれて……1人とは自由と同義であると、そう感じていた。
そんな欲望を満たしてくれる空間はなかなかない。
だが求めさまよえば別だ。奇跡も悲劇も、歩き回るものの足元にしか転がり込まないと僕は思う。
(二)
たとえば、僕の小学校のころの話をしよう。登校ルートから外れた場所に、草が生い茂った沼があって、そしてその片隅に古い南京錠で錠がされたコンクリートの小屋があった。
今でも覚えている。草を分け入り廃タイヤの小山を越え、電子機器だったものの残骸を辿るように導かれていくと、その建物が姿を現す。
プレハブ小屋ほどの灰色のコンクリートの建物。正面以外は沼に面していて、まるで水際に追いやられたような立地だった。白い塗装があちこち剥がれて錆色の地肌がむき出しになった金属のドアがあって、ガラス窓からは、埃に覆われた机や古いテレビ、積まれた新聞が見えた。ふさがれている窓もあって、全容は入ってみなければわからない状態だった。
激しく興味をそそられた。間違いなく、ここは自分のための場所だと思った。世界から忘れ去られたようなその小屋に入りたくなった。
出会いから2ヶ月ほど、折に触れて訪れこの建物の観察をした。人の出入りはおろか、誰かが近づいたりしているところさえ見たことがなかった。
夏休みのある土曜日、僕は川へ遊びに行くと母親に伝えて家を出て、真っ先にその小屋に向かった。
セミの大きな合唱と背が高く育った草が突然の訪問者をうまく覆い隠してくれた。沼の周囲に近づくと、生き物たちがうごめく音が聞こえる。草木のすれる音、ふいに水面をたたく音。
僕は道すがら拾ってきたこぶしほどの石の塊を、躊躇なく扉の南京錠に振り下ろした。
1回、2回、3回。
静かな沼に物騒な音が響く。鍵の予想外の耐久力に、僕は祈るような気持ちで石を叩きつけ続けた。
叩きつけた途中で石がかけ、滑った手の甲に南京錠の角が刺さり血が出た。それでも、僕はやめようとはしなかった。持ってきた石を投げ捨て、沼の水の中に手を入れ、両手でなければ持てないほどの石を拾い上げ、半ば投げつけるように錠に叩きつけた。
硬質で高い音が響き、南京錠は砕けた。砕けてごとりと音を立てて地面に落ちて、それきりだった。滝のような汗と、血とよくわからない藻で異臭がする手、取っ手が少しへこんでしまったドア。
周囲を見渡す。変わらず、生き物たちの音がそこにあるだけだった。低い唸り声が断続的に聞こえるのはウシガエルだったろうか。
とにかく目的は達成された。自分だけの空間はすぐそこにあった。
(三)
日差しがやけにまぶしく感じ、ジリジリとうなじを焼いていた感覚にようやく気づく。
僕は、ゆっくりとドアを開けて中に入っていった。
強烈なツンとする臭いと湿気。よく家の祖母が自宅の蔵に出入りしているときの臭いに似ていた。祖母は「カビ臭い」「ほこり臭い」とその度に言うのだが、これがそれなんだろうかと思いながら僕は後ろでに入り口を閉め室内を見渡した。
「外から見たよりずっと狭い」というのが、正直な感想だった。
入り口から少し離れると黒いビニールで覆われた紙の束や大きな農耕具、年季の入った階段状の箪笥などが敷き詰められており、それらがこの空間を奥から圧迫していたのだ。
実際人間が動き回れるのは6畳程度の広さであったと思う。
どうやら小屋というより倉庫に近いような場所だったのだと、その時は推察した。
積み上げられたものは天井にまで達していて、かなり長いことそのような用途で使用されていたようだった。何かに触れるたびに細かい塵が宙を舞う。堆積したほこりの量からかなり放置されていることに安堵した。
小学生の体に6畳の空間は十分すぎた。
その夏休みの間中、できるだけ毎日この1人きりの王国へ来て日が暮れるまで過ごすことにした。僕だけが知っている世界の片隅の、誰も居ない世界に僕だけがいる。その感覚を自覚するたびに、肌にぶつぶつとした興奮が浮き上がった。
ようやく夏休みが始まった気がした。
(四)
ほこりのかぶった机をプール帰りのタオルでぬぐい、そこで毎日宿題のひとこと日記を書いた。
空調設備のないうえに熱気がこもりやすい家だ。服を脱ぎ下着姿で床に寝ころびながらアイスノンを敷き、漫画を読み、友人から借りた『ポケットモンスター』の緑をやった。
そうこうしていると日暮れはあっという間だ。夏の夕暮れは世界を鮮やかに一変させる。
池に潜んでいたカエルが一斉に歌いだす。蝉の合唱にも変化が加わり、悲し気な音色が混ざる。空が赤く燃え、室内は塵が夕焼けを乱反射させ赤と紫の光が舞う。図鑑で観た宇宙の始まりを見ているようだった。
あまり帰宅が遅くなれば家族が怪しむ。僕は日が沈み切るのを待つことなく小屋を後にしなければならなかった。この小屋のことが明るみになることは避けたかった。
祖父の工具箱からくすねてきた南京錠をドアにセットして、夏草をかき分けて帰路に就く。青々とした葉っぱたちは、白いTシャツでは少し擦れるだけで色を残す。だから僕は色素がついてもわからないよう青色のシャツや黒色のズボンを好んで着ていた。
母は最近帰りがわずかに遅くなった僕を咎めはしなかった。どちらかといえば内向的な僕が理由をつけて積極的に外に出るのがうれしかったのだろう。「最近変な人が出るって町内放送で言ってたし、気をつけないかんよ」と調理台に向かって背中越しに言うくらいであった。
夏休みだった。
僕だけの夏休みだった。
しかしどんなことにも終わりは来る。
夏休みが終わってすぐの全校集会で「登校班に加えて下校班も作り、途中までは教師が引率する」と、突然告知された。
皆さんが安全に毎日過ごせるように……と先生たちが話している間、僕は面倒なことになったなと考えていた。
そうなると一旦帰宅してから小屋に向かう他はないのだが、学校が始まった今、宿題や成績を気にする親に毎日外出の言い訳を考えるのが難しい。
間が悪いことに、夏休みの宿題を一部なくしてしまったことが親にバレていた。紙切れ1枚の宿題ではあったが、提出されていないことについてご丁寧に学校から確認の連絡があったのだ。おそらく小屋との行き来の間に落としてしまったのだろう。それ以降、親は宿題について口うるさく口出しをしてきていた。
さらに悪いことに、下校班に付き添う先生たちは生徒を送り終えたらさっさと帰ればいいものを、辺りで立ち話をしていることが多かった。
懊悩を抱えたまま数週間が過ぎた。
(五)
9月の下旬に差し掛かったころ、僕は最終手段をとることにした。
夜、家を抜け出して小屋へいく、と。
通常ならありえない選択だ。だけど、それ以上に自分だけの世界にもう一度抱きしめられて、息ができないほど顔をうずめたくなった。別に家族が嫌だとか、友達が嫌だとか、寂しいとか、辛いとか、そういう複雑な事情を決して僕は持ち合わせてはいなかった。だからこれはもう自分の「さが」でどうしようもできない衝動だったのだろう。
僕が住んでいた家は田舎特有のだだっ広さのうえ、僕は夜に粗相をするタイプでもなかったので家族が自分の部屋に来ることはなかった。決行前に二度、寝ずに家族の動きを伺ってみたがやはり様子を見に来ることはなかった。
決行当日はパジャマではなく、いつもの青いシャツに黒い半ズボンに着替えて寝た。
深夜2時。
ゆっくりと一階に降り、仏間のガラス戸を開けて外に出る。仏間はトイレからも離れていて人とすれ違うことはまずないと踏んだためだ。あらかじめ外に用意しておいた運動靴と懐中電灯、予備の小さなペンライトもどきを持ち、自転車にまたがる。
1人だった。
こんな時間に街灯のまばらな道を行く人間はほかにいない。幾重にも折り重なって広がる蟲たちの声が暗闇に無限の広がりを作り出していた。今この時は人のための世界はなく、人のための時間も流れてはいない。そんな中、自分という小さな人間が1人だけいる。今、知られざる世界の貌を見ているのは僕だけであるという事実。
あの小屋にいるときと似た喜びが心の奥でゆっくりと頭をもたげた。しかしまだだ。
こんなものじゃなかった。あの場所は……。
自転車をとばしてあの場所を目ざす。迷うことはなかった。
しかし降りてすぐ。いつものように草をかき分けながら歩いていくさなか、足元からくぐもった低音の絶叫が響いた。おそらく感触的にもウシガエルを踏みつけたのだと思う。懐中電灯で足元を照らしていなかったため気づかなかったのだろう。極度の緊張状態にあった僕は頓狂な声を上げ文字通り跳ね上がるようにして走り出した。おそらくいつもとは少し左にずれて。
足元が二歩三歩と水にぬれてからようやく立ち止まった。僕は小屋を左に回り込むようにして沼に突っ込んでしまったのだ。
靴に染み込む生ぬるい泥水の感触。明日までに隠滅しなければならないことがまた一つ増えたことを苦々しく思っていると、手元の懐中電灯がないことに気づいた。あわててあたりを見渡すと草むらの一部が蛍のように光っているのが見えた。さっき落としてしまったらしい。あれはどのあたりだろうか、探しに行かねば。それに今ここはどのあたりなのか。
ポケットに入っていたペンライトもどきは無事だった。父が前にカプセルトイを回して僕に押し付けてきたものだ。こんな時でないと使わないからと消極的な理由で持ってきたものが役に立った。
荒くなった息を落ち着かせペンライトのボタンを押す。作りの拙さにしてはそこそこの強さの白い光が楕円形の商品の先から放たれた。小屋からかなり近かったこともあり、位置把握は容易だった。ぼんやりとではあるが自身の位置を確認すると、自身を奮い立たせて岸に戻ろうと……した歩みを僕は止めた。
小屋を側面から照らした時、黒い棒のようなものが小屋から生えていた気がしたからだ。
そういえばあのドアをどう開けるかを考えていた時から小屋の正面しか気にしていなかったが……そう思って岸に上がり、小屋の左側面を水際に靴をわずかに浸らせながら草をかき分け進んでいく。
それは梯子だった。
草に隠れて見えていなかったのと、背面に近い場所にあったこともあって気づかなかったが確かに梯子があった。
その梯子は月日を物語るように赤茶色に錆びていて、屋根上へと続いているようであった。
形を成さない違和感、恐怖感が心を撫でる。その梯子に導かれることは良くない結果を引き起こす、そんな気がしていた。だが結局は好奇心が勝った。少し背伸びをして届いた梯子の2段目をつかみ小屋の屋上へと出た。
そこで僕は思いもよらないものをみつけた。
(六)
小屋の屋根は外から見ていた通り平面で、過去に使われていたと思われる室外機などが乱雑に積み重ねられていた。しかしその奥。雑多なものの奥に赤茶色の蓋があるのが見えた。それは室内につながっていると思われた。
蓋はそこまで重くはなかった。小学生の自分でも、両手で力めば十分な隙間を作り出すことができた。
その蓋に、どこか触れない方がいいという感覚はあったが、この小屋の中身を知っている自分の理性がそれを否定した。この蓋の下には部屋の奥に詰め込まれている山積した大量の荷物の頭が見えるはずだと。
入口近くの6畳以外は物が詰め込まれているはずなのだと。
中をうかがうのに十分な間隔ができるまで蓋を動かすと僕は、穴に顔を近づけペンライトで中を照らした。
見えたものは、積み上げられた紙束でもなく農具でもなかった。
人ひとりが寝られるほど空けられたスペース、そしてその中央にぴったりはまるように敷かれた色のくすんだ布団であった。その布団を中心に様々な物や衣類が散らばっていた。
小屋は中で仕切られていたのだ。山積した物で壁が見えなかったのか? 山積したものが壁の役割を果たしていたのか?
穴から外に吹き抜けてくる小屋内の空気が鼻を突きさす。それは、僕が知っているものとは明らかに違う異臭だった。ほこりでもカビでもない、生き物のすえたような、腐ったような臭い。
ライトを持った腕を隙間に深く入れて細部を明らかにしようと試みる。するとその部屋のさらなる異常性が、幼かった自分でもわかるほどに目に飛び込んできた。
散らばっているものの多くは食べ物だった。コンビニやスーパーに置いてある惣菜がほぼ手つかずのまま部屋のいたるところに置いてあって、それが激しい異臭のもとであるようだった。
衣類は男性もの、女性もの両方あったがそのすべてに共通するのは子供服であることだった。それがまるで布団のふちをかたどるようにぎっしり敷き詰められている。
そしてその布団には、つるりとした子供サイズのマネキンが膝を抱えるように寝かせられていた。
青色のTシャツ、黒色の短パン。
僕がいつも着ているものと全く同じ服を着せられていたそのマネキンの顔には、黒と赤で乱雑に顔が書かれていた。笑顔のつもりなのだろうか。塗りつぶされた大きな赤い口が白い光の中で浮かび上がる。
口から漏れ出た叫び声を必死に両手で抑える。
心臓が早鐘のように鳴っていた。触れてはいけないものに触れた実感が確かにあった。
弾かれたように立ち上がり、蓋を元に戻す。手足が震えうまく取っ手を持てない。勢いをつけてなんとか指に引っ掛けて動かす。勢いがつきすぎたのか、元あったとき大きく蓋がずれてしまい僕は足がもつれて倒れこんだ。その時、はっきりと見えた。部屋の中からこの天井の蓋につながる形で脚立がかけられていた。
世界から隔絶された場所があったとして、なぜそこに自分以外の誰もいないと信じていたのか。獣が潜んでいる可能性をなぜ考えなかったのか。
この小屋は、僕だけのものではなかった。
(七)
もう限界だった。獣が戻ってくる前にこの場を去らなければならなかった。笑う膝を両こぶしでたたき、何とか立ち上がり梯子に向かって転がるように走る。
梯子に手をかけた時、ふと懐中電灯のことを思い出した。ここから見れば草むらのどのあたりにあるかわかるかもしれない。草むらに目を向ける。近ければ回収し、少しでも遠ければ捨ておくつもりだった。
草むらにぼんやりと光る光を僕の両目は果たしてとらえた。いつも小屋に来るときに使っていたであろう道のすぐ脇にそれはあった。その道を下っていったところに僕の自転車もある。
しかし、同時に僕はそれ以上動くことも考えることもできなくなった。草むらに横たわる光。その傍らに確かに人の形をした何かがたたずんでいたからだ。
逆光のなか薄暗いシルエットでしか捉えられなかったが、しかし。確信があった。その人間は間違いなく今、自分を見ていると。微動だにせず、懐中電灯の持ち主である僕を今見ている。
この小屋は、僕だけのものではなかった。
誰かがここで生活していて、そしてずっと前から僕は観察されていたのだ。
(八)
夜が明け、起きてこない僕を見に来た母親の絶叫で僕は目が覚めた。
昨日あの後泥まみれで部屋に帰った僕は何の後処理もせずに眠ってしまっていたらしい。
あれからどうなったのか、記憶にない。どう逃げ帰ってきたのか。靴が片方なくなっていて、足の裏に無数の小石が刺さり、両膝が赤黒い血で濡れていた。
その日の祖父母は階段を駆け上がる何かの音で目が覚めたのだという。僕は走って帰ってきた、ということらしかった。
家族には夜中に抜け出して、自転車を走らせて遊んでいたが道を踏み外した際自転車が壊れてしまい動かなくなってしまったので置いて走って帰ってきた。と、苦しい申し開きをし、困惑する両親からきつい説教をもらった。
こんな状況でも小屋のことは言いたくなかった。それは、もはや自身のテリトリーを守る気持ちというより、あの得体のしれないものを言葉にしてしまうことで現実にしたくなかったからだと思う。
祖母の提案でその日は学校を休み、ほかに外傷はないか医者に診てもらった。
「怖かったでしょう」
念のためと採血をしてまでの診療の後、若い男の医者がこちらを気遣って言った。なんと返答すればよいかわからず曖昧な返答で「もう痛くないので大丈夫です」と返すと、終わりがけに真っ赤な飴玉をくれたことを覚えている。
車に揺られて戻る道すがら、運転席の母がいぶかしげな声を上げて車を止めた。
「自転車あるやん、おじいちゃんが探してきてくれたんかな」
後部座席で膝を抱えて横たわっていた身をゆっくり起こして、僕も母と同じ方向を見据えた。
祖父の訳がなかった。
いつも母が車を止めているスペースにそれは置かれていた。深夜乗り捨てた自転車と、その籠にはあの懐中電灯、そして「よくできました」と真っ赤なはなまるが書かれた宿題の紙が入っていた。
それ以降、僕はあの小屋には近づいていない。外に出るのが怖くて、学校にも行かなくなった。家族は繰り返し僕に説明を求めたけれども、言えるはずがなかった。
(九)
その年の暮れ、父の仕事の都合で県外へ引っ越すことになった。それは僕が不登校になった件も大きく絡んでいたに違いない。多くの人が躊躇する転勤を、父はおそらく進んで受けたのだと思う。祖父母はそこをわかっていたから、息子夫婦の引っ越しを残念がりはしたけれども止めることはなかった。
僕にとっては渡りに船だった。転勤の話を聞いた時は涙を流して喜んだ記憶がある。
転校してからは、以前のように欠かさず学校に通った。以前と違ってかなり市街地の方の学校だったから、周囲の人の人となりも少し違って適応には時間を要したけれども。それでも少しずつ僕はその環境に溶け込んでいった。
──今でも、昼間だというのに宵口のような明るさの路地や廃墟のような建物を見ると、あの小屋を思い出す。
そして、僕は必ず、視線を逸らす。あそこに居たのはいったい何だったんだろう?
誰にも言えないまま、夏の記憶は、僕の中で腐っていく。
