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(一)
わたくし、形から入るタイプである。
例えば憧れる何かができたとして、すると自分はその何かの真似っこにまず着手する。例えば口癖、例えば髪型、しゃべり方、表情、しぐさ。
本来の自分をかなぐり捨ててキャラクターとの同一化を図るのだ。
例えば中学時代は『HUNTER×HUNTER』のヒソカが好きで、肩に貼った湿布を剝がすときなどは素早く半裸になり「もうこんなモノ必要ない♦」と言いながら、若干蠱惑的なポーズで剥がすなどしていて、これは今も続けている。楽しい。
最新の憧れはというと、織田裕二だ。
今更? そう、今更。
幼少の時分、和製のテレビドラマやバラエティ番組を見ず、カードキャプターさくらやふしぎの海のナディアを垂れ流している家庭で育つと、30歳で織田裕二に触れて嵌るピュアモンスターが爆誕するのだ。
(二)
特に「株価暴落」という銀行ドラマの織田裕二は最高だった。
終盤、取締役会に招聘された織田裕二。取締役たちから非難を浴びせられる織田裕二。銀行内部に張り巡らされた権謀術数、その権力に屈したように、自身の責任ですと頭を下げる織田裕二。
罪を擦り付けた悪役がほくそ笑む。だが1秒と立たずに「しかし!」と大声をあげながら頭を勢いよく上げ、妙にこもったしかしよく通る声で相手を理詰めし始める織田裕二。
銀行上層部の悪役が「貴様謝る気があるのか!」と怒鳴っていたがそう仰るのは全くその通りで結局、謝罪風論破をかまされた悪役は、陰で不正の証拠をつかんでいた織田裕二にズタボロに言い負かされ出世街道から滑り落ちていくのだった。
全体的に素晴らしいドラマだったが、自分は特に終盤のこのシーンにしびれたのだった。
それで真似するようになった。
(三)
誰かから何か注意されるたびに、「それはっ私が悪かったしかし!」と返すことを方々で繰り返した。とても気分がよかったが、どういうわけか徐々に人々は自分に注意をしてこなくなり、それどころか若干よそよそしくなって、去年の暮れには段ボールに折り目をつける閑職に飛ばされた。
それで。日々段ボールと向き合っているうちに気付いたのは、フィクションを無濾過のまま現実に持ち出すのはよくないということ。
昔、テンションが上がった祖父が未処理の井戸水を自分の前でラッパ飲みして夜間救急車で運ばれたことがあった。フィクションはいわば未処理の井戸水だ。そのまま頂けば、世間体に大きな害をなす。あとよく考えてみれば織田裕二は毎回「しかし」してるわけではなかった。大事な時だけしていた。
そういったことに気づいて以降、織田裕二的概念とは適度な距離を保って共存していて、平和な日々が続いていたがしかし(後遺症)、最近自分を悩ませるものがでてきた。
それはパディントンの存在だ。
(四)
彼は『パディントン』という映画に出てくる主役で紳士でかわいい熊なのだがとにかくかわいい。人はかわいいのど真ん中を攻められるとかわいいとしか言えなくなるのだと知った。
彼がどれだけ愛らしいかはPodcastで語っているのでいいとして、じわじわ湧き上がるのは「パディントンになりてぇ~」という欲。
まあクマになるのは無理としても、パディントンといえば青いダッフルコートに赤い帽子という象徴がある。
無濾過でいくなら男性ホルモンを絶えず打ち続けるなどして体毛を濃くし、耳に歯ブラシを挿入して気持ちよさそうな顔をする(このシーンが好き)などがいいが、ここは温故知新。衝動的にそのような痴態を職場で披露しようものなら閑職からも追い出されてしまうのは必至だった。
そこで、服のみパディントンになるというわけである。涙を呑んで、服だけ。といってもあの服は相当におしゃれだ。
(五)
適度にパディントンになれる上におしゃれ。
なかなかいいアイディアであるように感じたため、いよいよ先日酒の席で「お知らせがあります」と皆の注意を引き付けてから、この考えを披露した。
「似合わない」「33歳男性とかわいいは共存しない」「キモい」「パディントンは段ボール工場にいない」「キモい」「早く注文を言え」
次々に飛んでくる心無い言葉を一通り聞き、自分は目を伏せつつ深呼吸をする。駅で一人でさまようパディントンの姿が瞼に浮かんだ。彼はこんな気持ちだったのかもしれない。
だが、とても悲しくなるのと同時に、ふつふつと怒りが込み上げてきていた。言わせておけばこの野郎。いつの間にか自分はパディントン駅ではなく、無機質に机が並ぶ取締役会にいた。
今がまさに大事な時だ。あの大事な時だ。
息を吸いきると同時に目を見開き顔を上げると同時に毅然と叫んだ。
「しかし!」
喉の奥からこもったような、しかしよく通る声で。