ある日、雷が落ちてきて自分のなにもかもを終わらせてくれないだろうか。
荒野に立ち尽くすたびにそんなことを思う。
敷かれた線路の上を走りたくない。自分の道を行きたい。心のままに。
この手のフレーズは世の中にあふれている。
自由を賛歌し。熱狂のリズムを無責任にまき散らす。
それでも誰もが欲していることだから。聴くものの脳髄をねじり心を震わすのだ。
突然だった。
ある朝目が覚めて、自分はついにそのたぐいの狂乱にノックダウンさせられていて、そして自分は立ち止まってしまった。
初めてだった。
10年。これまでなんとなく走り、歩いた線路の上で自分は立ち尽くしていた。
ただ、その線路は自分で選んだはずなのに、奇妙なことに少しづつ少しづつ自分の行きたい場所からどんどん離れた場所に自分を運んでいたのだった。
穏やかな田舎の村から町へ。そして都会へ。そしていつしか荒野に引かれたただ1本の線路。
その上に自分はいた。
ここはいったいどこだろう?
ずいぶん前から違和感に気づいてはいた。しかし降りられなかった。さかしらに何故だろうかと問うまでもない。
西の空はもうすっかり暮れの色だ。燃えるような赤い色からオレンジ色へ。オレンジ色から黄色へ……ゆっくりとグラデーションを重ねながら頭の上には藍色の空が広がり、東の空にむかって星が散らばっている。
線路の先を見据える。揺らめく空気の中にオレンジ色の絨毯のような砂漠が見えた。
「だが賭けてもいい。160日この先を走っていったとしても……何もない。あるのは砂と塩だけだ」
昔見た映画の主人公の台詞が口をついて出た。
その映画は他にも良い台詞やシーンが沢山あったけれど、自分はその台詞が一番好きだった。
この先には渇きと涙しかない。それは明らかな事だった。本当はもっとずいぶん前から気づいていたはずだったのに。
だからついに、自分は線路から降りた。荒野に下った。
大きく息を吸う。わずかに夜を含んだ風が冷たく肺を満たす。呼吸を意識したのはいつぶりだろうか。
沈むのか、沈まないのか。はっきりとしない太陽が僕の背中をじっと見つめていた。明かりのあるうちに早く荒野から抜け出さなければならない。
コヨーテが、飢えが、暗闇が、孤独が。
無数の闇が耳元で囁いて僕は急かされるように歩き出す。
礫と枕木と、2匹の金属の蛇で彩られたこれまでの道とは違う感覚が、足の裏の皮膚から伝わってくる。
水気のないざらざらとした土の感触、尖った小石が牙を剥き、時折生えている低木類が足を掬う。急ぎながらも足元を気にして歩かねばならない。こちらに手を振る人が見えたと思い駈け寄るとそれは小憎たらしい形をしたサボテンだった。
荒野は果てなどないように思え、茫漠とした不安と強烈な孤独感が襲ってくる。
漠然としていた不安はやがてはっきりと形を作り、その死体のような白い口で昏い可能性を自分に告げる。それが最も自分を恐れさせていた。
それは荒野で襲われて傷を負うことでも、躓いて動けなくなることでも、人知れず行き倒れることでもない。
レールを降りなければよかった、と。
いつか後悔を始めたらと。
わが身可愛さにそんな風に思い始めてしまうとしたらと、それがたまらなく恐ろしい。
あの魅力的なフレーズを謳っていた彼らはこの自由の荒野を歩くことをなんと言っていただろうか。
知らないものに触れてみたい。ワクワクする。そんなようなことを言っていたような気がする。
整備された道からはぐれて知った。野に足を踏み出してみて分かった。自分は彼らのようにはなれないのだと。
実のところ自分は。
自分は……実体化してもいない無数の不安と、致命的な自己否定を始める恐怖と闘っていかなければならない小心者だったのだ。
今にも空が曇りだし、不穏な音を立てて光り出してくれないだろうか。
降り出す雨。
手を広げる自分。
閃光。
雷が自分の身を裂いてくれれば、不安も後悔もなく一瞬で終わるのだろう。
腰を置くには何とも武骨な石に座って汗をぬぐう。
空を見上げる。
荒野には夕焼け以外の明かりがない。澄んだ海の底のような空がただただ広がっている。
雷が人に落ちる確率は100万分の1に過ぎない。
それを願ってここに座り続けるのは馬鹿な話だと思う。鍵盤の上の猫の歩みが偶然『月の光』の一小節に変わるのを待つのに等しい。
そうして僕はまたゆっくりと立ち上がり、沈みゆく太陽に背を向けて輝く星々が広がる方へ歩みを進める。それらが何という名前の星なのかもわからないまま。
自分で自分の手を引くように。
荒野の奥へ、奥へと。
