Photo by Christian Paul Stobbe from Unsplash
(一)
季節のにおい、というものがあるとして。春と秋は特にそれを強く感じると思う。
生命が芽吹くエネルギーが満ちた季節とその最後の輝きの季節、と言い換えればなんとなく大気が色づく理由付けにはなりそうだ。
というのは適当な物言いで、単純に夏は金玉がふやけるほどの湿気と殺人的な熱射のせいで外に出ないし、冬は金玉がハーフサイズに縮むほどの寒気と肌がひび割れるほどの乾燥のせいでやはり外に出ない。消去法で、大気のにおいがわかるのは春と秋になる。
それで、においがきっかけになって昔の記憶が視界にちらつくことがある。
例えば、この時期だと金木犀だ。鼻の奥でやさしく広がりつつ記憶には的確に爪痕を残す無二の匂いだと思う。好きだ。
だが小学生の時分、「金木犀は大昔、汲み取り式の便所の糞のにおいを消すために便所周りに大量に植えられていたものであるからしてぇ、生える消臭力だよね」としつこく馬鹿にしていた人間がいたことを思い出す。
それは、皆がいい匂いだよね、秋だよねとほんわかしている場面にあらわれてはにやにやしながらそういうことを言うだけ言って去る妖怪のような少年。
まあそれは自分だったのだけれど、当時の気持ちとしてはプロメテウスみたいな気持ちであったと思う。人類に火を与える感覚で、知識を開陳して回っていたのだ。
(ニ)
ある日の放課後。
その場にいた女の子がついに「毎日嫌い」とシンプルながら強力な言葉をつぶやいて、しとしとと泣き出してしまい、周囲にいた人たちが光の速さで報連相、自分の身柄は即時担任に引き渡された。
あきれた様子の先生に「とりあえず立っとれ」と職員室前の廊下に立たされた。そこで自分は、プロメテウス気分で火をもってきたはいいけど、そこにあった人里みたいなのに毎回放火していたんだなぁ、よくなかったよなぁ、などといったことを考えていたのだった。
廊下の窓からはオレンジ色に染まった校門が見え、窓のすぐ外にある道はグラウンドを囲むようにして巡り、下校する子供たちをゆっくりと校門へと送り届けていた。
その人の群れのなか、サッカーがうまかった森田くんが泣かせてしまった女の子の手を引いて帰っていた。森田君はまっすぐ前を向いて緊張しているようにみえたし、女の子は下を向いてどこかぎこちなく。まだ悲しんでいるような、あるいは照れているようにも見えた。でも嫌がってはいないと思った。
女の子も手を握り返していたからだ。
そういえば、女の子が泣いたとき般若のような形相で走り寄ってきて、すばやくローキックを決めてきたのは森田君だった。
(三)
すこし経って何か一仕事を終えたであろう先生が職員室に入るよう自分を促し、空いていたソファに座らせ、ゆっくりと問いかけてきた。
「今回こういうことがあって、何を考えたのか言ってみなさい」
自分は先ほどまでの考えや、見たものを簡単に説明し「雨降って地固まるってこういうことなんだなって思いました」と締めくくると、両手を鼻にあて目を閉じて静かに聞いてきた先生は深い、深いため息をついた。
こうして文章で書くとなかなか場所をとる長さだ。だがしかしこれが一瞬のうちに頭になだれ込むと途方もないノスタルジーを引き起こす。
女の子の名前は忘れてしまったが、「楽しんでいる人がいる場所に乗り込んで浅めのプロメテウスしてはならない」と深く心に刻まれていたことを、金木犀の香りと夕暮れは思い出させてくれる。
自分はゆっくりスマホを置くとサンダルを脱ぎ再び公園のベンチに寝転んで、もうほとんどない缶酒から雫をゆっくりと口に垂らす。下校する子供たちの声が心地よい。公園に何本か植えられた金木犀が鼻をくすぐる。
(四)
車が好きで改造に多額の金をかけているという知人に、会話の流れの中で「車好きと電車好きは本質的には同じじゃん。凸型か直方体かの違いくらいしか分からない」と自分が言ったばかりに、SNS上で怒りのメッセージが連続で届いていた。
光の速さで報連相がなされ、自分が知らん人まで参戦して「昼間から人を煽ってんなよ働け」みたいな的確なローキックまでかましてくる。
ああ、もう少しはやく外で飲んでいればなあ。プロメテウスしなかったかもしれないのに。
掲げた缶の向こうにオレンジ色の金木犀の花が見える。それはあの日の夕焼けに似ていて。
缶を傍らに置き、ゆっくりと鼻に両掌をあて、静かに目を閉じた。