Photo by Sajima Souta
(一)
最近大気が湿り気と熱を持っていて、いよいよ過ごしづらい世の中になってきたねと言いたい。
しかし言わないのはその昔お茶に誘った郡司さんという女性が、終盤になって「天候の話題で場をつなぐ人は例外なく面白みに欠ける」と急に真顔になって言ってきたからである。
その日、スターバックスからスタートしたお茶会は、なんだかんだ居酒屋に場所を移し、最終的に新宿のどん詰まりみたいな場所にある岐阜屋という中華料理屋にもつれこんでいた。
その間ずっと鈴のように笑っていた郡司さんが、はっきりと他人の特徴を名指しして嫌悪感を示したというのはなんというか青天の霹靂で、急にガンジーが発砲してきたような衝撃があった。
さらに傷口を広げたのは、自分が郡司さんと会った時にまず天気、ひいては温暖化の話題から入っていたということだ。自分が南極の熊の気持ちを代弁している間も「つまらんな」と郡司さんは思っていたことになって、途端に岐阜屋の肉野菜炒めが脂っぽく感じてきたのだった。
(二)
それ以降、天気の話題が頭をよぎるたびにガンジーを背負った心の郡司さんがせせら笑うので天気予報もなんとなく見なくなり、翌日の予定を立てることが余計に難しくなった。
まあよく考えたら、もともと先の行動を立てるという通常の人類の動きは郡司さん以前にもしてなかったため、大した損失ではないような気もする。
そういえば郡司さんと待ち合わせた時も、待ち合わせの時間も場所も自分がいっさい決めなかった。しびれを切らしたあちらが当日決めてくれたような気もする。
こういうことを言うと、天気でつまるつまらない以前にお前の行動ひいては人格ぜんたいに問題があるのでは? と思う人がいるのかもしれないが、なんだろう正論で殴りかかってくるのやめてもらっていいですか。
自分は世界であと一匹しかいない絶滅危惧種なのだから、優しくしてくれてもいいじゃないか。トキに対して「どだい君らが絶滅しそうなのは、君らの生態が弱いというかだらしないからではないかなあ、そこんとこゴキブリなどはうまくやっているよ」と説教をする人がいるとしたら、それは紛れもなく狂人でしょう。
(三)
そうじゃなくてぇ。
問題は、自分を取り巻く大気について自分が言及することができなくなったということで、こうして駄文を披露する場においても手札が一枚減った状態で戦いを強いられているんですよ。
例えば自分だって暑いときは暑いといいたいし、そこから、暑いと地元で発生するタンクトップの痩せた爺について言及したいし、ひいてはその爺が学生がよく通る道に無断で懸垂バーを設置して登下校時に筋トレに励んでいることについても考察したい。
でもできない。グンジーがそれを阻むから。
だから、今もこうして平日の昼間にふらふらと訪れた喫茶店で「最近暑くなってきたが」という書き出しを書いてはバックスペースで消すみたいな作業を1時間ほど続けている。
「ミドルエイジクライシス」などという言葉があるが、最近特にこの弊害について見直さなければいけない気がしている。いわばこれは自身の挫折みたいな体験をうまく処理せず積み残したまま放っておいた結果なのだ。
このまま暑いも寒いも言えずに80年くらい生きていくのか? うちの家系はたいへん長命なのである。
ん? ちょっとまって、俺このまま『デイ・アフター・トゥモロー』とかもすっきりとした気持ちで観れないって事? いよいよヤバいじゃん。
(四)
そういうわけで、真剣に解決方法を模索しなければいけなくなった。
一番いいのはグンジーに「や、あのときは未熟さゆえああいったけれども。よく考えたら天気の話とか結構好きだし、今個人的に仲良くしている男性もお天気キャスターだよ。天気最高」みたいなことを言ってもらうこと。じゃあこれは実現できるだろうかというとそれは微妙な気がしている。
以前、小学校時代に不義理を働いた結果泣かせてしまった女の子がいました、という話をしたかと思う。結局謝るために該当の実家あたりをそれとなく散歩してみたのだがいたのは懸垂をしている件の爺のみであった。
つまり現在連絡を取っていない人間と遭遇するというのはかなり難しいということで、グンジーから改心の言葉を引き出すのはもう無理だろう。
そうなると、もうグンジーが異常者かつ少数派だったと定義づけるために動くしかない。
というのは、あれはグンジー特有の考えであり、世の中の九割くらいの人間は天気の話題とか結構好きだし、今個人的に仲良くしている男性もお天気キャスターで天気最高、みたいなデータが獲得できれば、ああ~自分は事故にあったようなものだったのだな。と思える気がするから。
(五)
善は急げ、自分の個人的な連絡網はもちろん匿名掲示板のようなアンダーグラウンドのようなものも駆使して自分は意見を募った。神に祈るような気持ちで。ココアをすすりながら。
結果は散々だった。
グンジーは多数派だった。
「そんな話するくらいなら天気予報観てればいいよね」「仕事できなさそう」「あんた、きょう仕事は?」等など。
そこまで言う必要ある? みたいな痛打を複数貰い自分はゆっくりとパソコンの電源を切った。こういう小さなダメージが積み重なってトキは絶滅に向かっていったのだろう。
早速行き詰まった。
なんだかすべてが嫌になり、会社に退職の電話を入れ着信拒否にしたのち喫茶店から出た。
その足でスーパーへ向かい、工業的な味のする缶酒を購入し駅前のベンチで飲み続けた。
自分の住んでいる地域はいくつか大学やら高校が固まっているので、ひっきりなしに部活やら、登下校やらで学生が通る。ひっきりなしに青い風が吹きぬけていく。
昼下がりに駅前の広場で泥酔する自分は、勝ちか負けかでいえばまあ圧倒的に負け寄りの存在で、そんな中で何か勝ちたくなった。負けっぱなしはいやだった。
ふとここで腕立て伏せをして、肉体的な強度を誇示してはいかがだろうかと考える。
ちょっと未来と元気と輝きと笑顔があるだけの連中をわからせるにはもはやフィジカルによる訴えしかない。『呪術廻戦』という漫画でも肉体の強度がバカ強いだけのキャラクターが最終決戦でいい活躍をしていた。肉体はすべてを解決する。
おもむろに地面に両の掌をつくと、じんわりとした熱さがコンクリートブロックから伝わってくる。ブロックの溝を這っていた蟻が、怖れもなく自分の手の上を横断していった。
最近大気が湿り気と熱を持っていて、いよいよ過ごしづらい世の中になってきたなぁ!
雑踏のなか腕立て伏せをしながら、自分は力の限り叫んだ。喧騒が一瞬止まったような気もしたが、またすぐ、喧騒。
自分の目には、蟻しか映っていない。